ミドリコ雑記帖

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小野不由美講演会の記憶

 20年くらい前に、小野不由美の講演を聞いた。
 年々記憶があやふやになっていくので、ノートでも取りながら聞けばよかった、せめて記憶が確かなうちにきちんとまとめておけばよかったと悔やんでいたのだけど、いま残っている不確かな記憶すらも、時が経てば消えてしまうのでは、と思ったので、20年後の頼りない記憶の中にあることだけでもまとめてみることにした。

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 私は小野不由美と同じ大学を卒業している。というか、非常に不真面目な受験生だった私は大学の名前をろくに知らず、当時読んでいた十二国記や悪霊シリーズの奥付のプロフィールを見て「へえこんな大学もあるんだ」と思い、模試の志望校の空欄を埋めるのに書いてみたらA判定が出たので滑り止めに受験したら、結果的にそこしか受からなかったのでそのまま入学した。
 まあ、同じ大学だからといって何があるわけでもないと思っていたのだけど、4回生のある日、ある先生から「小野不由美の講演会があるのを知っていますか」と教えられて仰天した。
 仏教学科の何かで小野不由美が講演に来る、学科は博綜館の小さい部屋でやるつもりだったらしいが、たまたま話を聞いたその先生(他の学科の人だった)は絶対そんな狭い部屋では駄目だと主張して、もう少し大きい部屋で行う事になったとのこと。ちなみに私にその話を教えてくれた先生は綾辻行人の後輩で、それがきっかけで話すようになった人なので、私が小野不由美が好きなことも知っていて、耳打ちしてくれたのだった。

 講演会がいつだったかもきちんと覚えていないのだけど、多分1999年。秋だったような気はする。
 会場は学内でも比較的大きな2301教室だった。講演の時間の前に、明らかに学外の生徒が詰め掛けていた。インターネットもそんなに普及していない時代、一体あの人たちはどうやって講演があることを知ったのだろう。いや、私も高校の友人には話したし実際聞きに来た子もいたけど、学内でもそんなに大体的に情報が出た催しではなかったのだった。

 仏教学科の偉い先生(多分)が小野さんの経歴を紹介した。『東亰異聞』を「とうけいいもん」と読んだので聴衆から失笑が起きて、「うちの大学のイベントなのに! よそから来てるくせに!」と腹を立てたことを覚えている(当時学内に聞思館(もんしかん)という建物があり、仏教的には多分聞=もんという読みがメジャーなのだろうなというぼんやりとした理解があったので)。
 その前だったか後だったか、やや若い先生が小野さんを紹介した。多分この先生が同級生だかなんだかで小野さんを呼んだのだと思う。もしかしたらそういう話もしたのかもしれない(覚えていない)。
 小野さんは着物を着ていた。『ゲームマシンはデイジーデイジーの歌を歌うか』(『The スーパーファミコン』で連載されていた小野不由美のゲームエッセイ)を読んでいたので知っていたけど、小柄な人だった。着物なのもなんとなく「らしいなあ」と思った。どうでもいいけれどサークルの後輩と顔立ちが似ていて、当時うちのサークルには本当に小野不由美を追いかけて山形から受験してきた子がいたので、彼女と私の間でその後その後輩はこっそり「主上」と呼ばれていた。

 前半は確かその同級生と思しき先生からの質問に答える形。ほとんど内容は覚えていないけれど、なぜこの大学を受けたのか、という話で、「修学旅行で京都に来た」「バスに乗って、寝て起きるととてもきれいな所に着いている」「なんと素晴らしいところだろうと思って」京都の大学を手当たり次第に受けたらここに合格した、というようなことを聞いた。「なぜ仏教学科だったのか」については、「史学科を受けたのに、なぜか仏教学科の合格通知が来た」だそうで、コンプライアンスがどうこういう時代でなかった当時でも「そんなんでええんかいうちの大学は」と思った記憶がある。

 後半は聴衆との質疑応答で、ここは本当にメモしておけばよかったと思うのだけど、ほとんど何も覚えていない。
 ただ、多分この質疑応答の最中に、「悩み多いキャラクターばかり書いているのでそういう人だと思われがちだが、実際には自分はそうではない」のような話が出た、のだと思う。

 その答えを受けて、私が質問をした。「悩み多い人間ではないというが、『魔性の子』の広瀬や『屍鬼』の静信を見ているととても身につまされる、それはなぜか」のような内容だったと思う。
 当時の私はとても悩み多い大学生だったので、広瀬や静信に思い入れるところが相当あり、一方で『デイジーデイジー…』を読んでいると、小野不由美が彼らのように思い悩むタイプの人間ではないというのも理解ができた。で、残ったのが、「ではどうしてこんなにリアリティーのある人物が描けるのだろう」という気持ちだったのだと思う。

 それに対しての小野さんの答えは、「自分とどんなにかけ離れていても、書くときはその人物に入り込む。そうでないとキャラクターが死にます」というようなものだった。
 細かい言い回しやニュアンスはもうほとんど覚えていないのだけど、「でないとキャラクターが死にます」と言ったのは確かだと思う。何かそれがとても鮮烈で、分からないなりに「そうか……」と思ったことを覚えている。

 それ以降、小野不由美の作品を読むときに、私はいつも、その言葉から受けたイメージを胸の中に持っている気がする。小野さんが言いたかったことを、きちんと受け取ることができたかどうかはわからないけれど。

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 あれから二十年が過ぎて、まだ十二国記が完結していないのは正直言って予想外だったけれど、小野不由美が生きて十二国記を書いていてくれること、私がそれを読むことができる環境にあることを嬉しく思う。明日になれば、新刊の後半が読める。