ミドリコ雑記帖

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アンサンブル・エヴォリュエ練習

わからない人にはホントにわからない、自分のための覚書。
課題曲(G4)。UとB.O.とB.F.の違いを出す、というのが難しい。自分には技術的に難しい、ということもあるけれど、音をとるときに、どれも同じに「歌詞のない部分」と覚えてしまっているせいで、ここはどう歌うのかとっさに反応できないのも原因のひとつ。反省。
前回課題だと感じていた「ロングトーンの最後の8分音符だけ音が動いて、その後に歌詞のあるフレーズが続く」部分(29小節とか49小節とか、あと43小節も)は、自分の中ではブレスをずらすことで解決。ひとつのフレーズを気持ちよく歌いきるより、音と音の間にあるクッションになりたい。少なくとも「みんなねむるよーーおっ、おやすみなさいー♪」みたいな歌い方はしたくない*1
飯沼先生の、日本語の語感を歌いわける指導に、毎回はっとさせられます(まだ2回目だけど)。「わらうように」と「ねむっているよ」は、たしかにキャラクターが変わるんだなあ。最後の「時のこども」なんて、ちょっといい感じじゃなくって?と、歌っててわくわくしてるんですが、まだまだでしょうか。

自由曲。かつてはffでがんがん押しまくるだけの歌だったなあ、と深く反省。へたに全体像がつかめてしまっているだけに、「拍子感を忘れてしまう」のです。(今日何度も言われました)指摘されると、確かになにも考えずに歌っているのですよね。とにかく暗くて重ければいいだろう!という気分が自分の中にあるのです。この安直さから抜け出さねば。

(9)の「ひとは ゆめみる」の歌い方、難しいけれど、言われた瞬間に目の前が開けた気がしました。後半のffは、できるできないはさておいて、やることは見えた気がしました。問題は最初のffです。まだなにやらもやもやしています。

ところで、大学で「季節へのまなざし」を歌っていたころ、ちょうど学科の講義で、「見る」ということは「わかる」と同義に使われることが多いのだ、という話が出ました。歌うたびに、そのことをふと思い出します。

みえないことで みえてくる世界
夢みるために
みえないでいる世界

飯沼先生の解釈は頷けるけれど、少しばかりせつないですね。年ばっかりくってても、もっと夢みていたいミドリコ。それぞれにそれぞれの考えがあっていいと思うのだけど、ミドリコの思うところは、言葉にはしないで、気配や匂いのようなまま残しておきたいな、と思っています。

*1:中高のころはまさにそういう歌い方をして悦に入ってたものですが。赤面