ミドリコ雑記帖

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事実と価値判断は別のもの

ろちさんは嫌いなもの、苦手なものが多い。思いがけないものを苦手だということも多い。たとえば和音で、音が当たるのが嫌だと言う。私などはあれがたまらない快感だと思うのだけど、だめなものはだめらしい。
で、私だったら「当たる音の良さが理解できない私はやはり音楽やる人間として失格云々」とか落ち込んでしまうところなのだけど、ろちさんはそれがない。「だめなものは仕方ない」と思ってる。これが私にはなかなか意外だった。なんていうか、「私はそれがわからない」のと「わからない自分はだめだ」っていうのは、別にイコールではないんだな、っていうのが。
もちろん持ち前の暗さと後ろ向きな才能により、そういう自分をだめだと思わずにいることはたいへん難しいのだけど(当たる音はかっこいいと思うけど、純正律平均律の違いがわからないとか倍音が理解できないとか、オーダーの違いによる響きの変化とか、分からないことは山盛りある)、能力のなさと自分の価値がイコールではない、ということが頻繁に確認できるというのは何というか、心強い。
ところで、こういう性格でありながら、私とろちさんを比べると、自分のことを好きなのも自分に自信を持っているのも、圧倒的に私のほうなのである。私の自己嫌悪はありあまる自己愛によるものだと、改めて思う。