ミドリコ雑記帖

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あなたの好きなものではなくそれを好きなあなたが好き

id:chiho17さんのエントリ(だからあなたのことが好きです)に触発されて考えました。


私が、何かを好きな人に対していいなと思うとき、<その人の好きなもの>ではなく<その人の好きになりかた>を好きなんだと思う。ゲシュタルト崩壊を起こしそうなので図解してみるとこういう感じ。

  ←好きなもの
  ←好きになりかた(ここが好き)
  ←人

☆(対象物)を好きになるんじゃなくって、矢印の部分(好きになりかた)をいいなあと思って、ひいてはそれを発している◎(人物)に興味を持つわけですよね。◎を好きだから☆のことも好きになったり、☆つながりで探していって◎をいいなと思ったりも、もちろんあるわけだけど。だけど、☆を好きな人ならどんな人でも好き!っていうとそういうわけでもなくて、むしろ危険だったりもする。「同じ☆を好きなもの同士で分かり合えないはずない!」って言われそうだけど、たとえば木下牧子の方舟ならどんな演奏でもいいかっていうとそうじゃないわけですよ。技術の巧拙にかかわらず、愛してる曲だからこそ許しがたい演奏ってのもあるわけで。あるいは同人やってる人とかで、同じジャンルでも好きカプが違うと戦争になるとか、同カプが好きでもそれぞれに地雷があったりとか。(もう少しマニアックでない例えはないものか)

逆に言うと、矢印の部分が好きならば、☆の部分は自分のぜんぜん興味ないものだっていいんです。むしろそのほうが面白いときさえある。だけど、矢印の部分、つまり<何かを好きになるときの好きになりかた>が好みの人、いいなって思う人を探すって、難しいですよね。☆の部分はばーんとわかりやすく名詞だけど、矢印のとこって形容詞だったり、そもそも言葉で表現できない微妙な色とか、においとか、ゆらぎみたいなものだったりするし、「これが好きっ」て表明しづらいんですよね。

だから実際に好きなのは矢印だったり、矢印を発している人物だったりするけど、言葉になるとき「☆を好きな人が好き」になりがちで、言葉にしているうちに、自分が好きなのは「☆を好きな人」だと思うようになったり、するんだろうなと思う。別に「☆を好きだから好き」でも「↑の感じが好き」でも「◎の好きな☆だから好き」でもいいんだけど、それぞれの「好き」は別の「好き」だよね、と。

なんか言い足りないけどまとまらないな。このへんをぱきっと一言で表現できたら、結婚相手が合唱人じゃないって言ったときの「えー!なんでー?」に対する説明がすごく簡単だったのになーと思います。