ミドリコ雑記帖

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やりたい音楽

……で何を思ってたかってことなんですけどね。
ライブの最中、はたさんが忘れ物を取りに戻る(笑)間と宣伝告知の間、メンバーが即興で演奏しながら喋る、て場面があったんですね。ジャムセッションというのだそうですが、それがすごく楽しそうだったのです。こういうのって好きだからできるんだよなー、バンドっていいなーと思ってふと、「こういう楽しみって合唱じゃできないのかな」と思ったわけです。ジャムセッションってまさに前にTK兄さんが書いてくださってた「一回完結の音楽を楽しむ」ことだよね、って思って。
即興演奏って、音楽が好きで、<やらされる>んじゃなくて<やりたい>って思ってて、だからできるんだよね、ていうか、でなきゃバンドやんないですよね。合唱だって好きで趣味で時間とお金つぎこんでやってるんだから、そういうことやってもいい、ていうか、やらなきゃだめとはいわないけど、そういう楽しみかただってあっていいよな、と思って。
でも、バンドだと何でもありな感じがするんですが、合唱だと「そんな無茶なことするもんじゃない」て感じになっちゃうんですよねー。なんでかなー。とか、また考えてみたりしたのですが、合唱ってクラシック系の音楽ですよね。不特定多数に演奏されることを想定して作られた曲を、譜面に沿って演奏するってところ。だから、決まったメンバーで、きっちり練習して、楽譜を読み込んで、て感じになってくるのかな。
でも、だからって即興とか一回かぎりの遊びとかができない、ありえない、てのは違うと思うんですよ。

「ほぼ日刊イトイ新聞」の「はじめてのjazz。」にクラシックは作曲家の独裁?というのがありましたが、うん、でもクラシックの魅力って、「同じ譜面を演奏しているのに違うものができる」ってとこだと思うのです。縛りがかかってるからこそ面白い。短歌が「三十一文字の枷を羽に高みに上る」ように(北村薫だったかな? あれ、有栖川?)同じ楽譜同じ楽器を用いながら、人によってまったく違う音楽が作られていくことがものすごい魅力だと思うんです。
で、そういうことができるためには、ステージでは必要なくてもアドリブができる力量がなきゃダメだと思うのです。別にアドリブに限らないけど、そういう力って要る、絶対。
ただ、公の場にはそういうアドリブってあんまり出てこないし、大人数で練習してるとそういうことやりづからったりするんだろうし、で、こういう現状になっちゃってるってことなのかなあ。
で、ミドリコがやりたいのは「合唱」じゃなくて「アンサンブル」なんだなあと何度目かの再確認。<誰かとやる音楽>がやりたい。<やらされる>んじゃなくて、<やりたいことをぶつけ合う音楽>がしたい。それが歌だったり連弾だったり合奏だったりして、そしてもっといろんなことができるようになるために練習する、ってことがやりたい。演奏会のための練習じゃなくって、合唱とかバンドとかカテゴリ分けされたものじゃなくって、「いまこの場でできること」を楽しむ、そのためにうまくなる努力をする、そういうことがしたいんです。