『ばら色の人生』を読んでいた父親が、「鷺沢萠と江国香織の区別がつかん」などと謎なことを言い出しました。何故? 何の区別がつかん? ああ? とりあえず「それはパーネル・ホールとJ・グリシャムくらい違う」と言ってみましたが、比喩が正しいかどうかはさておき、ホントに違いますよ、ねえ。
何が違うか、考えてみました。
- 鷺沢萠は地に足をつけて語るけど、江国香織は曖昧なところに浮いている。あるいはねそべっている。
- 鷺沢萠は誰かに伝えたいことがある。江国香織はただ表現している。
- 鷺沢萠はまっとうに働いて生きたい。江国香織はどこにも行きたくない(それでも出て行かざるをえないときはある)。
まったくの独断と偏見ですが……どこかへ向かう矢印がめめさんで、パステルで書いたようなもやもやした円が江国さん、というのがドリの実感です。あと、「嘘をつくのは駄目」って思ってそうなめめさんと、「嘘つくことなんてなんとも思っていない」って感じの江国さん、とか。
それにしてもなんで区別がつかないんだろう。ミドリコにはジャニーズアイドルが全部同じに見えるようなもの……?