ミドリコ雑記帖

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曲への敬意

こないだ某所でメサイアを聞きました。で、気になったのが、立ち座りやソリストの移動がすべて曲間に行われたことです。
珍しいことではないと思います。実際、私が最初に歌った団体でもそうでした。でも、メサイアはひとつの大きな物語なので、曲の(物語の)流れがあります。ひとつひとつの曲ももちろんすばらしいけど、曲と曲の繋がりで語られるものがある。クリスマスの夜の野原の景色から、「羊飼いたちが……」と語りだされるところで、一度流れが断ち切られてしまったら、それはすごくもったいないことだと思うのです。
曲の流れを妨げない立ち座り、移動は、確かに難しいです。歌うことに精一杯で、そんなことまでしてられない、という事情も分かります。でも、その曲が本来持っている良さを、そのために損なってしまうんだとしたら、何のための演奏か分からないじゃない?と思うのです。
譜面をめくることもそうだと思います。とても繊細な音楽が流れているときに、合唱団員がページをめくる音が響く。これってけっこうよく見る場面なのですが、なんでそういうことできちゃうの?って思います。ページをめくるなって言うんじゃないんです。タイミングをずらしてもいいし、そこでめくるにしても、音を立てないようにすることだってできるんです。
舞台に慣れてない素人がやってるんだから、立つのも座るのもページをめくるのも難しいです。体力的なことも体の調子もあると思います。でも、いろんな事情を忖度しながら、できるかぎりその曲本来の姿を損なわない方法を考えるべきだと思う。それが、そのとき演奏する曲への敬意だと思うんです。