ミドリコ雑記帖

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北村敏則テノールリサイタル Dalla sua pace

  ピアノ 武知朋子
  ホルン 水無瀬一成

京都府府民ホールアルティ

ステージに出てこられた瞬間から、ゆとりのある音楽が聞こえてくるような気がしました。もともと、舞台での立ち居振舞いがとても魅力的な方ではあるのですが、なんというか、「おいしいものを持ってきたから、あなたたちにわけてあげましょう」みたいな、自信に裏打ちされた余裕が感じられたのです。嬉しくて、どきどきして、最初の音が始まるのを待ちました。

W.A.Mozart
"Dalla sua pace"
"Il mio tesoro"
お日さまだ……と思いました。日の光じゃなくて、あたたかさのほう。草木を育て花をひらかせるエネルギーみたいな歌声。心がくるみこまれ、あたためられ、否応なしに癒されていく感触。春の太陽を仰いだときのように、どうしても目が開けられなくて、目をつぶったまま聞いていました。
R.Strauss
"Du meines Herzens Kronelein"
"Ich trage meine Minne"
"All mein Gedanken"
"Nachtgang"
"Heimliche Aufforderung"
うって変わって、朗々と張りのある響き、なんだかチョコレートみたい。深くて、つやがあって、ほのかに苦くて、甘くて。さっきのモーツァルトが「やさしい」なら、こちらは「恰好いい」。気がついたら泣いてたりして、隣のれいちゃんに「感極まった?」と聞かれて羞ずかしかったです。くそう。
F.Schubert
"Auf dem Strom"
ホルンのやわらかな響きに絡み、つき抜け、よりそって、やっぱり魔法を見ているみたい。
R.Strauss
"Allerseelen"は、頬をくすぐる夜の風。ひんやりとつめたく、甘く、心の表面を撫で、騒がせる。
"Die Nacht"は月の光。冴え冴えとひかる、りんとした、魅惑的な響き。そのままうっとりと"Freundliche Vision"を聞いて、悪戯っこのように歌われる"Wie sollten wir geheim"。でもこの悪戯っこ、恰好よすぎて質が悪いんですけど!
最後にモーツァルト"Konstanze,Konstanze!"
"Dies Bikdnis bezaubernd schon"
ホールの隅々まで声が満ち、私たちを包み込む。私たちは認められ、許され、愛されてここにいる。そういうあたたかさの中にいる。消え入る音のひとつひとつに慈愛が満ちて、わたしたちは皆、求める前に救われていました。
アンコール
赤とんぼ(平田あゆみ編曲)。いつもは軽やかに歌われるのに、今日は、ごつごつした大きな木のように、威厳のある深い声でした。それでも、他の誰にも真似できないあの歌い方はそのまま。いや、いっそう凄みが増しているかも。次々に転調する平田先生の編曲は、まるで美しい夢をみているようで、最後の最後で、我慢できなくって号泣しました。なんてことしてくれるんですか本当に!

野の羊
だから、威厳のある声なのに、ものすごく軽やかなんです。もう、信じられない。大人の男の、ユーモアを交えたさびしさ、みたいな感じ。誰かが作った歌を歌ってるんじゃなくって、北村先生がいまふと思いついたことをその場で歌ってる風に聞こえてくるのです。最後の最後、曲が終わる前に、なんともいえないユーモラスな顔をされて、その絶妙のタイミングといったらもう……。

初恋
他の曲でもそうだったんですが、先生が空に描くかすかな響きに、会場中が聞き入る、というシーンが何度もありました。その場にいる人みんなが心をひとつにする静寂。だからって先生が「さあやるぞ!」と気負ってらっしゃるわけでもなく、ただ何気なく、紙飛行機を飛ばすみたいに手を放されて、そのあまりの美しさに、周りが思わず息をのむ。心まで沈黙させないと聞こえない響きに、みんなが耳をすますのがわかる。……あの一体感、当分忘れられません。

終演後、楽屋へご挨拶に。満足行く仕事を終えられた、とてもよい顔をされていました。

「癒し系の演奏会」とおっしゃってたのですが、「癒し系」ではなく、癒しそのものの演奏会でした。切りつける美しさではなく、包み込む美しさ。こんなにきれいなものにはじめて出会った、と思いました。
この日この場所にいられてよかった。
心から私は幸せです。